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やじろべい本舗 キャンディーズからおニャン子クラブなど好景気の象徴

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キャンディーズからおニャン子クラブなど好景気の象徴

<まずはじめに私は1972年生まれのいわゆるアラフォー(around 40)である!

アラフォーといえば一時期話題になった 団塊の世代 のこどもたちで、第2次ベビーブームに

生まれた世代である。(昭和45から50年ころが中心)

わたしたちはいつの時代もその時代の流行に乗りやすく、ブームを生み出す原動力であったと

思います。現在もテレビなどでもアラフォーが中心的な役割を果たしています。

いまいち伸び悩んではいるが、アラフォーのアイドル芸人「紫SHIKIBU」といえばそれぞれが、

お笑い界をリードするメンバーがあつまっている。
紫SHIKIBU

メンバーはリーダーのナベアツことなっくん(1969年8月27日生)が独自でオーディションを行い、

雨上がり決死隊のみっくん(宮迫:1970年3月31日)、ほとちゃん(蛍原:1968年1月8日生)、

ガレッジセールからリーゴ(ゴリ:1972年5月22日生)、

ココリコからしゃっくん(田中:1971年4月26日)の5人が竹馬にのって、

「LOVEなんだよ」を2009年2月1日にリリースしている。

ご存知の通りいずれも下積みを終え、いまからが活躍どきの面々である。


さて、このメンバーと同世代である、わたしたちアラフォーの幼少から成人ころまでには、

見事な好景気があり、現代でも多くの流行を残していることに触れてみます。

恐縮ながら私の1972年1月1日生の年齢とともに歴史にふれていきます。


なんといってもアイドルが全盛期へと突入しました。

わたしの記憶にあるのは、キャンディーズとピンクレディーの2大アイドルですね。

キャンディーズが1973年「あなたに夢中」でデビューしたのは記憶にはないけど、物心ついた

頃には、少し年上のいとこが夢中でレコードをよく聴いてました。
キャンディーズ

この時期に少し遅れること1976年にピンクレディーが「ペッパー警部」がデビューし日本中が

熱狂しました。
ピンクレディー

キャンディーズが1978年引退。ピンクレディーが1981年引退とともに5年間で引退したなか、

1980年に絶対的アイドル松田聖子が「裸足の季節」でデビューし2大アイドルがくもってしまう

ほど、”ぶりっ子”、”聖子ちゃんカット”などとカリスマ的存在となった。
松田聖子
当時私は小学2年生ころ

それから2年後に、長年のライバルともなる、中森明菜が1982年「スローモーション」でデビュー。
中森明菜
当時私は小学4年生ころ

こちらは松田聖子とはまったく違う方向で、「不良っぽさ、陰りのある」アイドルをアピールした。

彼女は”スター誕生”にて、山口百恵を熱唄し、まさに山口百恵の再来を果たした。

ここに新時代を切り開き、のちに”ザ・ベストテン”にて女王の座を得たのである。

この女王を常に食ってきたのが、80年代のアイドルの象徴ともいえる、チェッカーズである!
チェッカーズ
当時小学5年生(11歳)

当時としては斬新なチェックの衣装に、インパクトのある髪型、そして何よりも、唄って踊れて、

ルックスもいい彼らは’83年に「ギザギザハートの子守唄」にはじまり次々とヒットを飛ばした。

また、好感を持てたのが、今ではタモリさん、松田聖子、チェッカーズを排出した、九州久留米から

上京して夢をつかんだことが、東京以外は田舎もんと思われた時代を変化させ、全国の

ティーンたちが勇気をもらったのだ。


この時代はまだ、カラーテレビこそ1家に1台になったが、ビデオデッキははるかのちの時代に

普及し、主流はレコードとカセットテープ。一枚700円程度のレコードがとんでもなく売れた。

また、ダビングのためにダブルラジカセがヒット。また、現在のi-podの先祖的な存在である、

’79年発売のウォークマンもヒットした。
ウォークマン

いよいよティーンズが時代をリードし、メディアもつぎつぎとティーンズを刺激する商品を紹介した。

’80年の松田聖子とともにメディアを騒がせたのが”ルービックキューブ
ルービックキューブ
当時私は小学2年生ころ


これには年齢問わず人気が爆発し、また数学的な評価も高いことから、おもちゃでありながら、

当時の親御さんたちの受けもよかったのが、親が買いあたえるおもちゃであった。

当時はツクダオリジナルが販売していたが、現在はメガハウスに引き継がれている。

この翌年に衝撃を与えたのが、”なめネコ”シリーズである。
なめネコ

正式には「なめんなよネコ」。名古屋のポスター会社のツダサトシさんがカレンダーとして撮影。

一風かわった、ネコにツッパリがかわいくもかっこよく人気となり、発表では、1981年の夏から、

12月までの4ヶ月のブームといわれているが、いまよりも流通が発達していなかったこともあり、

全国的にはもっとあとまでブームが続いた。

このころひそかに火がつき、現在の大企業を生む爆弾が生れた。

それは、任天堂の「ゲームウォッチ」が’80年に第1弾の「ボール」で発進!
ゲームウォッチ

世界初の携帯ゲームの誕生だ!

シリーズも次々と発売されマルチ画面といわれる、2面の画面をもつものも発売され、雪だるま式に

売上を伸ばした。

元々は、麻雀パイやトランプを製造していたメーカーだが、アーケードゲームに着手していった。

その延長戦で発売されたのが、’83年7月15日発売のファミコンこと「ファミリコンピューター」で

現在にも語り継がれる’85年発売の”スーパーマリオ”で大ブレイクする。
スーパーマリオブラザーズ
当時私は小学6年生

その後も任天堂は次々とヒット商品をだし、資本金1000億円の大企業へと成長した。

いかにもティーンズの時代の到来で、このころはテレビやラジオからティーンズは情報を集め、

芸能界にあこがれる子が続出した。

先ほど述べた中森明菜を含め、花の82年組といわれる面々のなかに、まさにシンデレラとも

いえる、ホリプロスターキャラバンで優勝したのが堀ちえみである。
堀ちえみ

TVドラマ『スチュワーデス物語』で"教官!""グズでのろまなカメ"といったフレーズが有名になる。

さらにこの時代の”身近な女の子”を前面に押し出した”おニャン子クラブ”が誕生。
おニャン子クラブ

このおニャン子クラグはオールナイトニッポンのテレビ版としてスタートしたオールナイトフジから

さらに分裂した夕やけニャンニャンのアイドルを探せから生れた素人アイドル集団である。

皆様もご存知の国生さゆりさんやキムタク夫人の工藤静香さんなどを生んだ。

また、当時はサラリーマンから芸能界へ転職したとんねるずのこの番組でブレイクした。
とんねるず
当時の私は中学・高校生
石橋貴明はホテルセンチュリーハリアットから、木梨憲武はダイハツから転職だ。

いまや宴会では知らない人もいないイッキ(一気)という言葉も彼らの歌から

広まったものだ!


まぁこの時代は若者はなりふり構わず無茶を楽しんだ。

象徴的なのはワンレン、ボディコンが定番になったジュリアナ東京である。
ジュリアナ東京
当時の私は二十歳前後

ユーロビートにのせて、多くの若者は我を忘れて踊った。(’91〜94年)

このブームは東京のみならず、すでに高級ディスコチェーンとして全国展開していた

マハラジャ(キング&クイーン)グループがこのブームにのり日本中の若者をわかせた。

このように現在のアラフォー世代は、常に流行のど真ん中にいて、お金を使って毎日を満たして

生活してきた。常に新しいものに敏感で、一番の消費者であった。

当然のように世の中を潤してきた。

トレンディドラマもわれわれと等身大の恋愛が描かれ共感した。

東京ラブストーリーや
東京ラブストーリー

男女7人夏物語にしても
男女7人夏物語

当時のわたしたちには身近にありそうな話で共感できた。

また、このようなドラマのおしゃれな生活がわたしたちのバイブルであった。


いまの若者(なんかむなしい響き)には未来の夢がないせいか、いまいち冷めた印象、恋も軽い、

ステータスが低いですね。

夢のない今の日本の未来を、明るいものにしてほしいですね。

かつて、オールナイトフジの過激な内容に、国会でも議論がなされたくらいではあるが、

いまの国会にもそのくらいの余裕がほしいですね。


テーマ : 好きなタレントや女優
ジャンル : アイドル・芸能

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